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自然に帰れ、共生の芸術の創造活動。

 芸術の源は自然です。自然は尊厳で永遠です。自然は全ての芸術家に、無尽のものを与え得るほど豊かです。自然に代って、芸術の源となり、範となるような、力も権利も、人類は永久に持つことは出来ません。
 人間が芸術を創造するという。自然は常に創造しているのです。無限な自然に全面的に服従し、忍耐強く自然を研究して、そこに作者の人間の魂を入れるのが、健全な芸術です。常に語るものは自然であり、聴くのが人間です。
 現代はこれが逆転した。自然を深く見ず、自然の声をよく聴かず、勝手気ままなことをしゃべりまくっています。

 太古において、人間の芸術的な創造は、全ての生命の父母である自然から生まれました。現代は科学技術を万能と過信しがちな物質文明の時代です。しかし今後いかに科学技術が進歩しようとも、人間が自然、宇宙を創ったのではないのだから、人間が自然を完全に支配することなど永久に出来ない。所詮人間は自然・宇宙から生じた生物の中の一つであり、自然・宇宙の中の微少な存在です。然るに父母なる自然に背き、自然を破壊する人類の愚行はとどまることを知らない。人間がつくった科学技術の悪使用によって地球の全ての生命が滅亡の危機に直面している今日、自然の命を慈しみ愛する心こそ何よりも大切なものです。
 科学で自然を征服するという近代人の思い上がった人間知の愚かで狭量な排他闘争の思想ではなく、自然の諸存在と生命を等価値と見て分け隔てなく畏敬することが、現代において最も大切なことです。「草木山川大地悉皆佛性、森羅萬象悉有神性、一切衆生全人類平等智。」という古来からの東洋人の思想は現代において重要なものとなっています。
 この心をもって芸術家は自然の研究に全生涯を捧げなければならない。
 人間のわずかな才能を驕り、霊感や神来に頼ってはならない。芸術家の資格は誠実と努力、意志と忍耐です。
 絵画や彫刻などは視覚と触覚によるものであり、音楽は聴覚によるものです。文学は抽象的な文字によるものです。頭脳、眼、耳、手などは人体の各部分です。偉大な芸術作品は各部分ではなく、全身全霊をもって創作されたものです。尊厳な永遠な自然に全力をもって立ち向かい、自然の対象を傍観せず懸命に凝視し、自然の根源生命と芸術家の人間の生命が合体したものです。
 機械化しヴァーチャル化していく現代、現実の自然との直接性、生きた感動と感覚の回復が肝要です。

 
 
 
 
 
  

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