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三、 霊的なものへのすすめ。      

真実の人との出会い。師弟不二。

           

生涯二度とない出会い。 開眼、覚醒、新生。

 
 人は、大芸術家・大宗教家の神人・真人の作品との、痛切で運命的で決定的な出会いがあって、初めて開眼し、真実の世界に生まれかわる。
 新たな誕生である。
 宗教では回心という。(佛教ではエシン、キリスト教ではカイシンとよぶ)
 開眼なき者は霊性的に盲人である。いたずらに地上の動物性の年令を重ねるに過ぎない。
 絶対の信仰を切実に求めて、身をあがき苦しむことだ。俗世間の目的意識を捨て、その日その瞬間を必死で生きることだ。
 精神的放浪の孤独な若き時代に、絶対に信じ切る人に出会うことだ。
 自分よりはるかに純粋で峻厳で気高く高貴で慈悲深い人に出会うことである。
 自分の頭脳の意識がすっかり一新するような、強烈な感動を受け、畏敬し、唯信じ、感謝して、合掌する人に出会うことである。
 それは宇宙であり、生命である。真理であり、佛(神といっても同じ)であり、慈悲である。
 生涯の師である真実の人に出会えた人には、虚偽の人生の世俗的栄達や財産や、快楽や幸福は必要ではない。
 もはや他人の賞讃や非難に動じぬ人間である。

 
 
 
 

 出会いの天才の作品を賛嘆するだけではなく、創造の世界の具体的研究。

 
 感動は言葉にならない。言葉にしたら嘘になる。人に知られぬ祈りである。億萬の言葉を用いても一つの沈黙を創り出すことが本当の仕事である。
 天才の作品から受け取る感動は言葉で説明できるものではない。人間の判断、解釈、思弁を超えて存在するものである。

 しかし言語表現を絶したもの、不可思議なもの、空なもの、超越的なものと言っても、それだけでは実感がなく空虚で死語である。
 生きた宗教と芸術は、宇宙的な創造の生命であり、実在感があるものであり、全身で体得するものである。
 偉人、巨匠、天才とは人間と宇宙の一如の大生命を表現する人である。

 天才の作品に感動し奇蹟の如く讃嘆するだけではなく、実際の創造の活動の行為の結果である作品に即して、自然の導因と主題と創作との関係。創造の資性、引導力、天才独得の情熱。伝統的かつ独創的な作品の構成や技巧までを学術的に研究することが必要である。
 
 
 
 

出会いの謝念。発菩提心。

 
 芸術は一つの宗教であり、宗教は一つの芸術である。
 宗教的真実と、芸術的真実は一つである。
 最大の芸術家は最大の宗教家であり、最大の宗教家は最大の芸術家である。

 一以テ之ヲ貫ク。   孔子 

 天地と人との、人と人との、命と命との、絶対的に純粋で真実で、運命的で決定的な、出会いの事実体験(超経験的)をもって、一生涯を貫く。
 
 大芸術家・大宗教家の覚者、真人、神人、天才との出会いがあって開眼し、覚醒し、回心し、新生したことの、謝念をもって、菩提心を起して、芸術寺院の美術館の建立を発心する。

 菩提心をおこすと云ふは、己れいまだわたらざる先きに一切衆生をわたさんと発願しいとむなり、そのかたちいやしと云ふも、この心を発せばすでに一切衆生の導師なり。                  
                          道元

 如来大悲の恩徳は、身を粉にしても報ずべし、師主知識の恩徳も、ほねをくだきても謝すべし。
                          親鸞

 
 
 
 

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