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法(ダルマ)・神の信仰と探究。


   法(ダルマ)・神の信仰と探究。

 

法は、存在するもの、存在をして存在たらしめていること 
[ 古代インド ]。                     
神は、在りて在るもの、なるところのものとなること    
[ 古代ヘヴライ ] の義。

 

法を見る者は我を見る、我を見るものは法を見る。

                 ブツダ


神を見る者は我を見る、我を見るものは神を見る。

                 キリスト

 

法・神は観念や抽象ではなく、只今現在、此処に可視的に顕現して在りつつ、不可視的な背後にも在る、深い真実の実在である。
大宇宙に遍く存在する無数の法・神の「全体」を人間の眼で見ることはできない。しかし法・神は眼に見える自然の「個体」の存在に直接に対面し、精神を集中して懸命に凝視し、全身で全力で制作行為する瞬間に、人間の生命・魂・霊の内部で感じ取ることができる、真実の存在者である。
要するに法・神は大自然の生命・魂・霊と人間の生命・魂・霊が一体になっ た、根源の究極の実在である。
由に法・神だけが真実である。他は全て幻影であり虚妄である。

 
 
 
 
 
 

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