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剛熈を語る:粟津則雄

…彼は、いささかも風景に狎れることなく、つねに新たに、全身全霊をこめて風景を凝視する。この凝視にさらされることによって、風景は、さかしらなまなざしに対しては秘めていた、そのもっとも奥深いものをあらわにする。かくして、彼の描く風景は、言わば魂の風景とでも言うべきおもむきを呈するのである。

…戦後次々と現われた、造形上の新しい思潮や方法に右顧左眄することのない、その頑固一徹な執拗な歩みは、まことに驚くに足りるのだ。

 

魂の風景

遠藤剛熈氏の作品に接したのはごく最近のことだが、一見して強く心を動かされた。彼の作品の大半は風景画であるが、風景という通念によりかかって、風景とのあいだに、あいまいで中途半端な野合を行うというようなところはまったくない。だがまた、風景を、おのれの方法意識や造形意識にむりやり従わせるといったところもない。彼は、いささかも風景に狎れることなく、つねに新たに、全身全霊をこめて風景を凝視する。この凝視にさらされることによって、風景は、さかしらなまなざしに対しては秘めていた、そのもっとも奥深いものをあらわにする。かくして、彼の描く風景は、言わば魂の風景とでも言うべきおもむきを呈するのである。

私は、遠藤氏の京都のアトリエを訪ねて、初期作品から最近作に至るまで、かなりの数の作品を見せてもらったが、戦後次々と現われた、造形上の新しい思潮や方法に右顧左眄することのない、その頑固一徹な執拗な歩みは、まことに驚くに足りるのだ。これは彼が、古くさい絵画観念に安易に寄りかかっているということではない。風景は、つねに、或るなまなましい問いとして彼に現前するのであり、彼はその問いにいかにして答え、いかにしてその問いに問い返すかという工夫にその全力を傾注せざるをえない。風景とのあいだのこの本質的な対話から離れた新手法も新思潮も、彼には余計なひまつぶしと思われたに違いないのである。

彼の作品のなかで、私がまず心ひかれたのは、『武蔵野の土』や『武蔵野の畑』といった風景素描であるが、それは、彼と風景とのかかわりようの精髄とも骨組とも言うべきものが端的に感じられたからである。これらの素描には明らかにゴッホの素描を思わせるところがあるが、もちろんゴッホの素描は真似て真似うるものではあるまい。むりやり真似てみても当人の薄っぺらさかげんをさらけだすのが落ちだろう。その点、遠藤氏の風景素描は、ゴッホを真似たのではなく、ゴッホと響きあったと言うべきものだ。そこには、執拗な探究と無垢な虚心が、激しさと繊細なやさしさとが融けあっており、そこに遠藤氏独特のものが、生き生きと立ち現われていると言っていい。風景に関する概念が不安に揺れ動き、人びとが、おのれにとっての風景の意味を見定めかねている現在、彼の仕事はまことに貴重なものであると言っていい。

遠藤氏は、風景とのこのような対話を核としながら、一歩一歩その仕事を積みあげてきた。そこには、ゴッホの影はもちろんだが、『二本の松と水道』や『修験場』のように、セザンヌが濃い影を落している作品もあり、『早春の寺の裏山』や『南禅寺裏山』のようにゴーギャンのおもかげが感じられるものもある。だが、それらも、風景素描の場合と同様、けっしてうわっつらだけの模倣に留ってはいない。遠藤氏は、セザンヌやゴーギャンに虚心に心を開きながらも、その個性的な嗅覚によって、それらのなかでおのれにとって必要なものを嗅ぎとり、それを血肉化する。かくしてそれらは、遠藤氏自身の本質的要素と化し、彼のなかで、さまざまな対話をかわすことによって、遠藤氏固有の劇を現前させるのである。

もっとも、彼のこのような画風は、初期においては、その意力の集中と強度とによって、見る者に、一種の重苦しさや息苦しさを感じさせるようなところがなくはなかった。激しい音を次々と打ち鳴らした場合のように、その激しさと持続とが、かえって或る単調さを感じさせるようなところがなくはなかった。だが、時とともに、その作品には、押しつけがましいところのない或る自然な息づかいのごときものが、のびやかな抑揚のごときものが、少しずつその姿をあらわにしてきているように見える。あの重苦しさのかわりに一種の軽みが、その作品に、或る自由感とでも言うべきものを与えているように見える。近作において、彼の画面に、かつてはなかったような色彩のよろこびが感じられることもそのひとつのあらわれだろう。そしてまた、それに応じて、形そのもののなかにも、堅固でありながら自在な動きが感じられるように思われる。

私は、もっぱら彼の風景画について語ってきたが、もちろん彼には人物画もあり静物画もある。それらのなかにも興味深い作品があったが、私が見た限りでは、彼の本質は、風景画において、もっとも自由に、全体的に立ち現われているようだ。また彼は、風景画というジャンルにおいてこそ、もっとものびやかに息づくことが出来るようだ。だがこれは、人物画や静物画に関しては可能性がないということではない。風景画においてこのように展開した彼の世界は、これらのジャンルにおいても、やがてみずみずしく花を開くことだろう。

粟津則雄(仏文学者、文芸評論家)アート’94 No.145 特集 遠藤剛熈 マリア書房 1994.11

 

1999年の粟津則雄さんの「魂の風景」の評論の終段。

(前略)このようにして遠藤氏の歩みを辿ったあとで彼の近作を見たときまことに印象的なのは、そこでは、それまでの彼の作品を形作って来た様々な要素が、その表情を変えながらよみがえっていることだ。1960年の『バケツに花』や63年の『花のある道』に見られたあざやかな赤は、その後、姿を消していたのだが、89-99年の『初夏の植物園』や、『初夏の花園』などにおいても、二作の『秋の永観堂』においても、そこに描かれた花や紅葉の質感にしなやかに寄りそいながら、あふれかえるほどの豊かさで、みずみずしくよみがえっている。あるいはまた、89年の『八瀬の庭』や91年の『八瀬の庭』のような水彩画においては、セザンヌ的な構造性や色彩感が、ふしぎな軽みをもって、だがいささかのあいまいさもなく、展開されていると言っていい。
 これは、この画家の独特の成熟であるが、彼はこの成熟のなかで自足しているわけではない。「八瀬の庭」を描いた素描があるが、同じ主題の水彩画とを見くらべてみると、水彩画の一見のびやかで軽やかな表情の奥に、いかに激しい造形的追求が渦巻いているかがわかる。彼におけるこのような追求と、それを踏まえながら刻々に新たに生み出される表情の深化とのかかわりが、そのまま遠藤氏の歩み続けて来た道なのである。このような彼の姿勢は、彼に、現在の絵画世界のなかにあっての孤独と孤立とを強いたことだろうが、これがそのまま、彼の仕事にその批評的意味を与えていると言っていいだろう。彼が描く風景は、単なる視覚的対象ではなく、言わば魂の風景とでも言うべきものと化しており、その人物画や静物画も、画家の魂の運動がしみとおっているのだが、単に画家ばかりではなく、現代に生きる人びと一般にとっても、こういう存在はごく縁遠いものとなっている。人に対しても、物に対しても、風景に対しても、人びとは、言わば物的対象に対するようなかかわりしか持てなくなっている。その点、遠藤氏の仕事は、それらと、新たにみずみずしく出会うための、このうえない導きとなりうるのである。

遠藤剛熈画集 東方出版

粟津則雄(左)と遠藤剛熈(右)遠藤剛熈美術館にて(開館前)

 

遠藤剛熈美術館開館記念 開会式スピーチ(抜粋)

「絵描きがものを描くという、つまり対象と絵描きの目や手との関わりという、その実に直截な出会いというところに一切が集中している…もうまるで本能のように、画家が目を開き手を動かしてものに触れあいものを描き、ものと合体する。その全身的な、全身全霊を込めた遠藤さんの仕事の質、絵の質、精神の質というものが、デッサンからその他の作品に至るまで充満していて、これはただ者ではない、と思った。」

…居間にお通しして絵を拝見したらば、大変驚きました。何に驚いたかと申すと、とにかくものを、絵描きがものを描くという、つまり対象と絵描きの目や手との関わりという、その実に直截な出会いというところに一切が集中しているわけですね。最近はやりの様々な手法、様々な芸術思潮、様々な観念、それはもちろん遠藤さんにもあるんでしょうけども、そういったものの中に、つまりもうまるで本能のように、画家が目を開き手を動かしてものに触れあいものを描き … ものを描き、ものと合体する。その全身的な、全身全霊を込めた遠藤さんの仕事の質、絵の質、精神の質というものが、デッサンからその他の作品に至るまで充満しておりまして、これはただ者ではない、と思いました。

(中略)決してこの方は器用な方じゃないです。むしろ不器用に近い。不器用に近いんだけれども、その不器用さというものが、絵に対する、自然に対する、あるいは人間に対する様々な、いわば出来心といいますかね、既に出来た、出来上がった観念を壊して 刻々に壊していく。それから、ごく小さなデッサンから圧倒するような大作にいたるまであふれかえっておりまして、びっくり仰天したわけです。

(中略)こういう仕事は一つ間違いますと、いささかでも何といいますか念力  精神の力が衰えますと、実に無惨な繰り返しになります、自己模倣と 。ところがこの怪奇な画家はですね、この歳になって未だに一種の初心ていいますかね、自然との実に初々しい出会いというものを抱き続け、成長させ続けていらっしゃる。その遠藤さんのお仕事が、こういう見事な、これは遠藤さんの執念だと思うけれども、見事な場を与えられて、多くの方々がご覧になれるようなそういう場を与えられて、さらに多くの方々の目に、よろこびを、さっき仰った言葉によれば、平和と愛を与える、これは非常に私としてもうれしいことだと思っております。どうぞ遠藤さん、体を大事にして、しっかりやって下さい。どうも。

粟津則雄 (仏文学者、批評家)2000年11月23日 遠藤剛熈美術館にて収録

 

粟津則雄 略歴

粟津 則雄(あわづ のりお、1927年(昭和2年)8月15日 – )は、日本の文芸評論家、フランス文学者、美術評論家、詩人、日本芸術院会員。「歴程」同人。

愛知県西尾市出身。第三高等学校卒業、1948年、東京大学仏文科に入学、1952年卒業、フランス文学の翻訳、美術評論等に健筆を揮う。1964年より法政大学経済学部助教授、のち教授、1997年定年退職して名誉教授。いわき市立草野心平記念文学館長。1970年『詩人たち』、『詩の空間』で藤村記念歴程賞、1982年『正岡子規』で亀井勝一郎賞、2010年『粟津則雄著作集』で鮎川信夫賞特別賞受賞。1993年紫綬褒章、99年勲三等瑞宝章受章。2010年日本芸術院賞・恩賜賞受賞、芸術院会員。

小林秀雄とアルチュール・ランボーに影響を受け、フランスの詩、美術、音楽について多数の評論活動を行い、正岡子規にも関心が深い。

粟津則雄先生の詳細はウィキペディア等をご参照ください。