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自然寺

寺報  芸術寺院 Jinen-ji Nature Art Temple  創刊号
平成23(2011)年1月1日 発行

 
 

宗教団体  自然寺 発足

宗教と芸術の実存的真理は一つ

孤独な沈潜の求道の苦行の歳月
大天才との 巨大な精神伝統との出会い 
菩提心を起す 寺院を建立

 

 宗教団体自然寺(旧称:自然庵)が平成20(2008)年8月に規則の作成、平成21(2009)年5月23日に第一回門徒総会を開催し、遠藤剛熈(法名:金剛)を住職・代表役員に発足しました。
 この度、寺報を発行するにあたり、改めて邂逅の謝念より菩提心を起して、寺院を建立することになった発意を、「宗教と芸術の実存的真理は一つ」と力強く宣言しました。

宇宙の創造の宗教的真理と芸術的真理は一つである。宗教的創造と芸術的創造は一つである。最大の宗教家は最大の芸術家であり、最大の芸術家は最大の宗教家である。私にとって芸術の道は宗教の道であり、宗教の道は芸術の道である。佛教者としては佛教の道が芸術の道である。芸術の道が佛教の道である。

 

自然寺発足にあたって


〜住職 遠藤剛熈(法名 金剛)の言葉〜

 画家として己の天職に励んで六十数年。この道の門出の少年の日から、すでにそうであったのだが、最晩年に入った現在、一層、絶対・純粋・永遠なるものを念願する気持ちが強くなっている。俗世間の愛憎や打算を超えた、無私無償の心と行いのみが真実誠の人の道だと思っている。
 現実の屋外の大地に然と立って、尊厳な永遠な自然に直面して感動にうちふるえ、精神を集中し、対象を凝視し、全身全霊をもって制作するのであるが、画家が自然の実在の真実と美を探求することと、宗教家が出家して神佛に仕えて修行することは、根本において、異なるものではないと思う。
 一つのことを一筋に一生涯をかけて研究し、自分の仕事に愛情をもち、やがてそれが信仰になっていく。自分の仕事に徹することが佛教精神ではないかと思っている。
 若い時から芸術の道に出家してきたのであるが、出家して僧侶になりたいという気持ちは本来的にあり、発意して僧侶の勉強を始めた次第である。
 故郷の京都の、歴史的古典的風土の中で長年絵を描いてきて、自ずと身についた信仰心―無常と慈愛―から、僧侶になった次第である。

 釈迦の原点に帰りたい。釈迦の愚鈍弟子といわれたシュリハンダカのようになれたら望外のことである。
 「口にする多きによらず、聞くところ少なしといへ、聞くままに身に行ひつ、能く守り等閑にせぬ、かかる人なむ法を護持する」。法句経。
 釈迦の「三衣一鉢」の言葉の中にこそ真実の道があるのではないか。自分が豊かな生活をしていて衆生済度などできるはずがない。宗教と芸術の出家者は質素に厳しく修行しなければならない。
 親鸞は若い時代の二十年間を、比叡山で天台僧として修行、苦行した。生涯紙衣の清貧な生活をして、世に知られずに亡くなった。親鸞の内省と知足の謙虚な生活態度を倣いたい。
 「学道の人は最も貧なるべし、人は必ず陰徳を修すべし」。この道元の言葉を座右の銘としたい。
 現代は物と金銭の欲望に狂奔するさもしい物質文明に毒されて、人間が個人の魂の尊厳を失った自堕落な時代である。こんな時代に、国家等の集団や個人の、権力、暴力、不正を決して容認せず、毅然として対する。暴力に加担せず、屈せず、いかなる戦争、殺戮、殺傷にも反対し、行動しなければならない。「殺してはならない、殺させてはならない、他人が殺すのを傍観していてはならない」。という釈迦の言葉を守り実践したい。
 釈迦弥陀に孤独な個人が出会い開眼する。心霊界に誕生する。宗教的真理の神髄は、人間の罪悪ゆえに佛の悲願は人間を救う。邂逅の謝念一筋に生きたい。

 本願寺の法主の大谷暢順師の、「立派なお寺をつくって下さい」との私への理解と期待の言葉があって、宗教団体「自然寺」が発足し、単立寺院として、宗教法人の京都府認証に向って前進を開始している。
 私は父母の形見である歎異抄講話と九条武子夫人伝と聖書を大切にしている。
 私が絵画の道に進めたのは、父母の期待と、信仰の永遠の愛があったからである。
 「親鸞は父母の孝養のためとて、一度も念仏をもうしたること、いまだそうらわず…」。一切衆生、全人類は皆父母兄弟姉妹なりという、親鸞の普遍的宇宙的宗教的生命観(生死観)と平等観を受け継ぎたいと思っている。
 人類の愚行の地球の環境破壊がすすみ深刻な事態となっている今日、地球・愛・共生が大切になっている。人間中心に自然と共生するのではなく、自然中心に生かされていることの、感謝の心が大切である。
 六十年間、屋外の自然の現場で制作してきたので、私の作品で世と人に役立てる時が来たと思っている。
 自然萬物の中に神佛が宿り、神佛の中に自然萬物が宿る。草木山川国土悉皆佛性、森羅萬象悉有神性、一切衆生全人類平等智。の東洋の思想のごとく、自然の諸存在―土、樹、草花、動物、虫、人間等の無数の生命を平等に価値あるものと見て、畏敬と愛をもって創作活動に励み、作品を描き上げ、日本のみならず世界各地で展覧会を行い、作品を通して多くの人々に上記の思想と信仰を伝道していく。
 大自然と神佛だけが真実であり、絶対の師である。「親鸞は弟子一人も持たずそうろう…」という、自然と如来の前で謙遜な言葉を忘れず守りたい。
 自然・神佛・真実を同義とする思想を屋外の制作の現場で実行していく。真理は一つ、天地に二つはない。創造の生命の宗教的真理と芸術的真理は一体である、という信仰をもって、宗教・宗派、学派・流派を超えた宗教芸術一如の寺院の建立を進めていく。

         

 

自然寺のいわれ

 寺号は親鸞聖人の最晩年の言葉の「自然法爾」(じねんほうに)からヒントを得た。
 「自然」の「自」はおのずから、ということ。人間の計らいや思弁を超えたもの。「然」はそうさせられる、そのようにさせる、そうならせる、ありのまま、思考や計らいより、先ず存在そのもの。
 自然のはたらきを知らせようとして、はじめて顕れた佛が阿弥陀佛と言うのだと聞いている。
 「阿弥陀佛」は自然のはたらきを知らせるための手段である。その道理を心得てしまった後は、この自然のことをあれこれ論議、詮索してはならないのである。自然をあれこれ言うことでは、「義なきを義とする」ということばも、なほ計らいのあることである。これは佛の智慧の不思議である。
               
   正嘉二年(1258年)十二月十五日  愚禿親鸞八十六歳

 
 
 
 
 
     

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