© 2012 Gohki Endo All rights reserved.

大地に立つ樹と裸身の人間


 原始美術

 ヨーロッパ大陸からアジア大陸の広い地域で発掘されている、原始美術の石の立体彫刻の女体の立像があります。

 ずんぐりとした、女体の胸、腹、腰、臀(でん)、股(もも)の部分だけのトルソ。特に下腹と乳が強調されています。生命の根源の豊饒な大地と生殖の象徴の女神です。地母神です。
 時代が下ると女神の立像の背が高くなります。その女神と立つ樹(神木)が一体となり、地と天を結ぶ生命の象徴となります。それがやがて神を祀る神殿の立柱になります。


 ギリシャ美術

 コーレ。女子立像。着物をつけているうら若い女性。アルカイックスマイル。
 クーロス。アルカイック期の青少年の男子の立像。
 ギリシャ美術は西洋美術の永遠の古典、基礎であります。西洋のみならず全人類の人体(裸体)表現の永遠の古典、基礎である。現在に至るまで、ギリシャ古典期のフィディアスやプラクシテレスの名作を凌駕する作品を人類は創造することが出来ない。
 日本人が思っているギリシャ美術の彫刻は、本当のギリシャではない。ヘレニズムのもので、多くはローマで模刻されたものです。

 西洋のキリスト教中世紀をへて、ルネッサンスはギリシャ、ローマの裸体表現の復興。そうしてバロック。
 イタリアはレオナルド、ミケランジェロ、ラファエロ、ジョルジョーネ、チチアーノ、チントレット、ヴェロネーゼ等。
 ドイツ、ベルギーは、デューラー、リューベンス等。

 近代は、フランスのドラクロア、クールベ、ロダン、ブールデル、マイヨール等の画家、彫刻家の裸体作品。

    
 

 東洋では、インドと南アジアの男女立像。ヤクシー像等の裸体彫刻。

 中国、日本等の東アジアは、古代から近代まで、造形芸術における人間の裸体表現の歴史は全くありません。
 近代彫刻の巨匠のロダンやブールデルやマイヨールの人体は、人類の強烈な生命力、エネルギーがある。
 彼等巨匠達に比べると、明治以後の日本人の人体作品は生命力、エネルギーが弱い。

 これからは、地球の大地に自分の足が然と立つという根本と基礎に帰って、樹と人間を制作することが大切です。

 

裸身の人間が立って在る

      

一人の人間が立って在る。
太古から現代まで変わらない、裸身の人間が立って在る。
自然(じねん)にあるということ、ただそれだけの何と美しく、尊く、不思議なことか!
画家はこのように自然の実在を一生見つづけ、愛しつづける。
固有名詞のついた人間を描くのではない。
固有名詞に執すること(独占欲、所有欲)が人類の争いの原因なのだ。
描く者も、描かれる者も、自分であって、自分ではない。
自我以前の、純粋な生命の根源[神・佛]から生かされている存在だ。
本来名も無い、黙った、おのずからなる存在だ。
動物の中で人間は珍しく二本の足で立つ。歩く。
あまり速く走れず、高く飛べないので、車や飛行機を発明し、
ついにロケットで宇宙の果てまで行こうとする。
母なる大地に立つという人類の原点と初心から離れていく。

 

裸形の大樹が立って在る

                

一本の大樹が立って在る。
何百年、千年も嵐や日照りに負けずに生き続けてきた裸形の大樹。
自然(じねん)にあるということ、ただそれだけの、何と偉大で尊厳で雄壮で剛健なことか!
大樹は黙って立ってきた。動物。特に人間がよくしゃべる。
あまりしゃべりすぎて沈黙することを忘れがちだ。
自然を深く見ることも、自然の声を黙って聴くこともめったにしない。
人間は大樹の元に、時々やってくる、短い命の動物の一つに過ぎない。
画家は一本の樹木を見つづけ、描くだけでも、一生涯かかる。
それでもまだ描ききれないだろう。

 
 
 
 
 
  

Leave A Reply

You must be logged in to post a comment.