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[館長挨拶] 遠藤剛熈

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芸術は理想のための
人類の共同
純真な魂の謙遜な誠実と
愛と献身行為

 

遠 藤 剛 熈 (画家)

 

 本日は10周年の行事にご来館いただき、誠にありがとうございます。ご案内の言葉に申し上げました通り、御参列の皆様からいただいた長年の御厚情、御支援に対する感謝の心から、この展覧会を開催いたしました。
 私も76歳になり、若き日の学生時代に切磋琢磨した友人たちや、美術館を開いたころより出会い、お世話になった得難い友人たちの何人もが既に亡くなりました。
 また、若き日以来近年までに出会った、明治・大正生まれの高邁な人格の勝れた業績がある人達から受けた人間的感化。又私の芸術に寄せられた心からの友誼に対して、充分なお礼の言葉を申し上げず、行動をしないうちにこの世を去っていかれた偉大な先人達の真実一路の誠心の人となりへの感謝を、今日お集りの皆様にお伝えしたいと思います。
 そのことが、先人達が残された業績を受け継ぐ、人間が成すべき義務であると思っております。
 さて先ほど、2000点の収蔵作品の中から近作を含めて約160点を自選し、ご鑑賞いただきました。初期のアカデミックな勉強の作品。30歳前から60歳過ぎまでの自分の道を見出すために南禅寺の風景に取り組み修業した作品。その後現在までの京都の風景や、土と樹と裸身の人間の生命の根源を追究した作品など、60年の制作の歩みを感じ取っていただけたことと思います。
 この10年をふり返り京都の風景も、樹も、人間も、満足するまで充分には描けなかった。展覧会の直前まで制作し、もっと描かなければと残念に思いながら初日を迎えました。
 あわただしい現代の生活において、後10年ぐらい自然と自分を深く見つめなければ、手応えのある仕事はできないと思っています。
 北斎は80歳の頃、「猫一匹満足に描けない」と言って涙しています。彼に力がないのではない。彼が描いた絵よりも、描く対象がはるかに美しく新鮮で尊厳に見えてくるのに驚嘆しているのです。また90歳に近い頃「百二十歳まで生きたら本当の絵が描ける」と言っています。勿論デッサンのことです。私は初心に帰り、デッサンの勉強に励まなければなりません。
 さて私にとって神法・佛法(以下神・佛と書く)とは人間を内包する大自然・宇宙の永遠の真実と生命の義です。故に自然・宇宙と神・佛だけが生きている真実です。
 私は観念的に神・佛を描こうなどとは考えません。
 私には京都の風景の一隅や、一本の樹木や、一人の裸身の人間の、今、此処の存在の姿、形がそのまま神・佛の顕現であるからです。
 人間だけが勝れていると思い上がってはならない。自然の萬物――植物と動物、生物と無生物――を平等の価値があるものと見て、畏敬し慈愛する心が大切です。
 自然の存在に対峙して精神を集中して制作する画家に、自然は彼の真実な尊厳な魂(精神)を顕現させます。
 物理学者のアインシュタインは「自然の法則にはある精神が現れていると私は確信する。人間の精神よりはるかに勝れた精神である」と言っています。
 詩人であり動植物の科学者のゲーテは、「自然はあくまでも真実で真面目で、厳格で正しい。過失や誤謬はいつも人間の方にある。自然は力の足りない者を軽蔑し、ただ力の十分な者、誠実で純粋な者にだけに身を委ね、その秘密の扉を開く」と語っています。
 芸術家と科学者と宗教者にとって自然が絶対の信仰です。
 芸術家は大自然の森羅萬象の永遠の美と真実と生命の探究に生涯を捧げます。仕事場は聖なる寺院です。
 今の時代は自然科学と人文科学と社会科学の専門家が協力し共同し、より善き社会の建設のための総合的研究を進めることが大切です。
 現実の社会は、物と金銭の欲望が狂奔し、虚偽と暴力と権力が横行し、環境の破壊と生命の殺戮と殺傷事件が絶えません。
 「僧たちよ、私は世間と争わない。世間が私と争うのだ。真理を宣べ伝える者は世のいかなる人とも争わない(絶対平和)」
 「生きとし生けるものを殺してはならない、殺させてはならない、他人が殺すのを傍観してはならない(不殺生、非暴力、反戦)」は釈迦牟尼の信条です。
 今、ここに御列席のすべての人とともに、各人が傍観者ではなく、全身的な行動者、表現者、共生者として、大自然の萬物、全生命を尊び、生かされて生きていることに感謝し、世界と人類の平和と幸福のために貢献しなければならないと思います。  
                    
                   (画家)

 
 
 
 
 
  

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