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[来賓挨拶] 上平 貢

最初から腹の据わった
気骨の画家 魂の作家
ゴッホの仕事に共通
土に立って赤裸に自然に向かっ
ていく 自然と一つになる
まさに自然と人間 精神として
の神佛の世界 大宇宙の生命力
に共感しながら生き続ける

上 平  貢(美術史家 元京都市美術館館長 元京都嵯峨芸術大学学長)

 

 遠藤さんの美術館は、最初の開館のときとは姿が変わっております。向かい側のアトリエに第1回の会場が設営されていて、そこに色々な作品がここと同時に向こうにもあったという姿を、今思い起こしております。
 あれから10年経っているということですが、この間に遠藤さんはフランス、パリから招聘されて展覧会をやられたはずです。…さきほど遠藤さんは初期から段階的に歩んで来た足取りについてお話になりましたが、確かにそういう歩んできた道のりというものがございますでしょうけれども、絵に対する姿勢は最初からもう決まっているというか、そういうふうな腹のすわった画家であると私には思えます。人によっては色々な遍歴をもっている。
 今ふと思い出したのですが、粟津先生ともう30年ほど前に小学館から小さな冊子ではございましたが、レオナルドとラファエロの伝記を紹介する、こざっぱりした作品が一杯載っている楽しい本を粟津先生と作ったことがあります。巻頭といいますか、全文をおおうように粟津先生がレオナルド論を展開され、そのレオナルドに準じてという訳ではないのですがレオナルドとラファエロのことを私が書きました。
 ところで私はフィレンツェに一年ほど滞在しておりまして、非常に詰め込んだイタリア美術の研究をやったことがあります。そのとき、レオナルドのビンチ村からそして最後のフランスのアンバールまで行きました。アンバールの宮廷で彼は息を引き取っていますので、お墓参りの意味もこめて。レオナルドの生涯は、確かに…、作品も非常に少ない。が、非常に凝縮したものがその中にはこめられているという気がします。それにしましてもレオナルドのような血を肉にしていくような感じに、普遍的な美の世界を構築していく。ああいうルネッサンス的な世界観の中で形をとっていきます。
 しかし遠藤さんの場合は、私が最初に遠藤さんの作品を拝見したのは土を描いている武蔵野の風景でした。これは小林秀雄さんが何かサジェストされて、それであのデッサン、物を描くことに気づいたというのをちょっと書いておられますが、その中にはそれですぐ思い出したのはゴッホの仕事ぶりです。そういったものにも共通した、非常に素っ裸で自然に対して向かって行くと言いましょうか、あるいは自然と一つになると言いましょうか。
 このご案内の中に「共生の芸術家」という意味合いのことが書いてございますが、まさに自然と人間、そしてさらに精神としての神佛の世界、そういう大宇宙の生命力と共感しながら生き続けておられるということでございます。
 非常に深い感動を私どもは受けております。これからさらに10年、20年と仕事を続け、より一層深みをまし、大きく膨らまして私どもにお土産をいただきますようにお願いをいたしまして、お祝いのご挨拶とさせていただきます。

                    (美術史家)

 
 

ルーヴル美術館でのフランス国民美術家協会展覧会の日本単独代表招待出品(会場の約十メートルの壁面に七枚)の際の自発的な推薦文

           

 京都在住のきわめて卓越した日本の現代作家、そして私の親愛なる友、遠藤剛熈君をここにご推薦申し上げます。
 画家遠藤剛熈は、すでに京都の市中に自分の個人美術館を開設して、多くの日本国内の学識者や美術家たちの注目を浴び、また美術を愛好する市民たちから旺んな声援を送られています。
 彼は1935年に京都で生れ、画技を東京の美術学校で学びました。その後、京都にアトリエを移し活発な制作をつづけ、その画歴はすでに50年を越えています。つねに高い芸術の境地と深い信仰をかかげ、彼のような自然に対する謙虚で実直な態度と人間としての超俗的で純粋な生き方は、今日の日本ではもはや他に類を見出し難いと思われます。
 遠藤剛熈の絵画(油彩画)の基礎は、ヨーロッパのゴッホ、セザンヌ、ルオーらの近代画家たちに多大な影響をうけています。しかし早くから東洋ないし日本人の固有の思考と感性の中で、さまざまな東西交流の摩擦や抵抗を意識し、それらの克服のために情熱的に取組み、統合と和解への道を模索しました。すさまじいまでの自然の本質への肉迫と人間的実存への挑戦を貫いてきました。彼はまさに気骨の画家であり魂の作家です。
 もともと人や物の存在が内包する両極的矛盾を芸術美の世界で如何に止揚し、普遍的な享受の領域に導くべきかに心血を注いだ遠藤剛熈は、次第に最も根源的な素描の実践を重視するようになりました。濃密な色彩の世界よりも、かえって表現の究極を黒と白の世界に求めていったのです。そして主題の多くも自然のいぶきや大地の生命に通底する荒土の風景や逞しい女体や大樹の相貌に向けられるようになりました。
 世俗に媚びることなく、ひたすら求道者の人生を歩みつづけるこの画家は、現在、美術館に約1500点もの魅力的な油彩画・水彩画と厖大な量の素描類を大切に保管しています。この貴重な彼の画業の真髄を国内だけでなく、是非とも海外の多くの有識者にも紹介し、彼の芸術の普遍的価値が世界的に評価される機会を私は待っていました。
 今回、もし貴協会の親身なご好意によって、フランス国民美術家協会展の日本代表としての出品が可能になりますならば、私にとってこれ以上の慶びはありません。きっと貴国の市民の皆さんが現代日本美術の実に個性的で真摯な局面と特筆すべき作家の存在をご理解くださるものと期待いたします。

    

                      上平 貢

 
 

追悼 感謝 上平貢先生


 …つねに高い芸術の境地と深い信仰をかかげ、彼のような自然に対する謙虚で実直な態度と人間としての超俗的で純粋な生き方は、今日の日本ではもはや他に類を見出し難いと思われます。
 遠藤剛熈の絵画(油彩画)の基礎は、ヨーロッパのゴッホ、セザンヌ、ルオーらの近代画家たちに多大な影響をうけています。しかし早くから東洋ないし日本人の固有の思考と感性の中で、さまざまな東西交流の摩擦や抵抗を意識し、それらの克服のために情熱的に取組み、統合と和解への道を模索しました。すさまじいまでの自然の本質への肉迫と人間的実存への挑戦を貫いてきました。彼はまさに気骨の画家であり魂の作家です。
 もともと人や物の存在が内包する両極的矛盾を芸術美の世界で如何に止揚し、普遍的な享受の領域に導くべきかに心血を注いだ遠藤剛熈は、次第に最も根源的な素描の実践を重視するようになりました。濃密な色彩の世界よりも、かえって表現の究極を黒と白の世界に求めていったのです。そして主題の多くも自然のいぶきや大地の生命に通底する荒土の風景や逞しい女体や大樹の相貌に向けられるようになりました。
 世俗に媚びることなく、ひたすら求道者の人生を歩みつづけるこの画家は、現在、美術館に約1500点もの魅力的な油彩画・水彩画と厖大な量の素描類を大切に保管しています。この貴重な彼の画業の真髄を国内だけでなく、是非とも海外の多くの有識者にも紹介し、彼の芸術の普遍的価値が世界的に評価される機会を私は待っていました。…

               上平 貢

 
 
 
 
 
 

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