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[来賓挨拶] 大谷暢順

遠藤剛熈は皮相な技巧や様式や流行にとらわれている今日の画壇を離れて独自の道を歩み 佛法と絵画が一つの境地に達した 佛画一如の精神の画僧である 佛法も絵画 芸術も中心となるものは同じである 要するに結局は 知性を超越した感性の世界でなければならない(自然法爾の世界)
美術館が佛法の道と絵画の道一如の寺院になることを切に祈念し 更なる前進を期待する

大 谷 暢 順(浄土真宗本山本願寺法主)

 

 遠藤剛熈美術館の10周年記念、大変おめでとうございます。遠藤さんが既に40年前から研究所を開かれ、また画塾として多くの絵画の生徒を一万人以上も育ててこられたということで、誠に社会のために、また将来の日本のために貢献なさったことに対して大いに感服いたしております。そういう意味でこの式典は単に10周年記念ではなく、遠藤さんの一生涯の大変重要な節目となる、実におめでたいことと存じます。
 今から3年くらい前でしたか、遠藤さんが突然私の所に尋ねて来られまして、これから佛法を学んで僧侶になりたいと言われたので、私は大変驚きもし、いささかためらった訳であります。
 このような大画家が初歩から佛法を学ぼうと思い立たれたことは、誠に殊勝というか非常に結構なことと思いまして、それではということでお受けしたわけであります。そこで佛法、浄土真宗の経文の最初から、また声明作法の第一歩から私の所で勉強をされました。すでに佛教大学を卒業しておられるんですけれども、そういうことはさしおいて、まず第一歩から重ねて佛法を学びたいという大変な感服すべきお気持ちで、大いに私も感激した訳であります。
 そして、我々の所の初等科を無事終了され、また得度式を受けられて立派に僧侶となられましたこと、おめでとうございます。この美術館をこれからはお寺として、絵画を学ぶところでありながら同時に佛法を偲べる場所としていこうと言われるお志は大変ありがたいと存じるわけであります。
 たしかにそうして、遠藤さんは高校生のころからすでに絵を学び始めておられましたが、同時に大いに佛法に心を寄せられて、佛法も絵画も一つであるという境地に達せられた。そしてその信念でここまで来られたことは実に感服すべきことと思う次第であります。確かに私も、佛法も芸術もその中心となるものは同じであると思います。
 そして遠藤さんが今日の皮相的な技巧とか様式というものにのみとらわれている画壇を離れて独自の道を歩んでいこうとされているのは、それはやはりその佛画一如と申しますか、そういう精神に基づいておられるからだと思うのであります。佛法も絵画、芸術も要するに結局は知性を超越した感性の世界でなければならないと思います。それが技術とか技巧とか様式を離れて絵画の道を進んでいこうとされるそのお気持ちは、そこへ一つになっているというふうに私は思います。
 そういう訳で、今日の記念式典は大変おめでたいとともに、これからいよいよ遠藤さんが佛法にも絵画にもその道を進んで行かれることを、またその成果を期待して、今日のお祝いの言葉とさせていただきます。

              (浄土真宗本山本願寺法主)

 
 
 
 
 
 

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