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個人美術館の建立を思い立った頃の覚書。   

  

遠 藤 剛 熈 57歳 1992年9月執筆(1999年5月改稿)

 

芸術の道


芸術は私にとってかけがえのないものである。
命をかけた仕事であり、一生涯の努力が必要である。

私は若い時に人生如何に生くべきか、信仰と理想を真剣に求めつづけた。
私は二十才の信仰と理想を、現在まで持ち通している。
青少年時代から今日まで、私を導いてきたものは、歴史上の巨匠・天才達との真実な出会いである。彼等への感謝と、後輩としての責任感である。

少年の日に絵筆を持って以来、今日まで四十数年、来る年も来る年も、自然の現場へ通い、かわることなく無名の初心者として制作した。
気晴らしや娯楽を求めず 、仕事着から仕事着の日々だった。

私の絵は全て自然の対象物を前にした直接の制作である。
偉大な永遠な自然に立ち向い、全力をつくして制作した。
流派や形式を越えて、自然のリアリティーのある、生命のこもった作品を作ることを目標とした。

又、何一つ隠すことのない、私の生き様であり、告白である。
私の絵と人生は全て矛盾の連続であり、失敗の連続である。
動物と神、悪魔と天使など、対極にあるものの相克である。
しかし、否定と肯定をくりかえし、矛盾を克服しながら、世界を肯定し、綜合する方向へと進んできている。

敬虔な心で忍耐強く労働して自然を研究しなければならない。
偉大な永遠な自然に比べて、自分は何と小さく愚かなことか。
人間の計らいと判断は、何と偽瞞的で党派的であることか。
自己であらんがために、己を捨てねばならないことは、芸術家にとって自明の理である。
感謝をもって、生かされている命を生きることである。

歴史上の巨匠達から、精神とメチエを学ばなければならない。
巨匠達と比べれば、私は未だ徒弟奉公の小僧である。
あらゆる天才は、自然を愛し尊崇し、忍耐強く自然を研究した。
そうすれば必要な技術は、上手下手の差こそあれ、自ずとついてくるものである。
大切なことは、巨匠・天才を模倣することではなく、自分の眼と心と資質で自然を見ることだ。

私は徒党集団のためではなく、個人として、自分自身のために制作してきた。外部を見ずに、自分の内面のみを見つめ、深め、信仰や信念の真実のために戦い、努力してきた。
独立独歩の人間であり、芸術家である。

「たとえ人が全世界の富と名声を得るとも、そのために自己を見失い、自己の魂を損ずれば、真実・神において、何一つ得るところあらん。」という聖書の言葉は、 本当の芸術家たらんとする人間にとっての金言である。

真実の修行者は、
腐敗した社会には妥協しない。
貧弱なありふれた成功を超越する。
他者に報酬を求めない。
自分の仕事に徹し、仕事を愛することが幸福の全てである。
偽りの芸術家は、さもしい外面的成功と出世栄達の道を歩む。そうして他人の評価を気にして、本質を欠いた、浮ついた作品をつくる。
自分を偽らぬ芸術家は、外面的社会からはなれて、孤独と苦悩の中で自分の内部の力で制作をする。
五年、十年、… 一生涯をかけて一つの仕事をする。
そうして、たとえ後世なりとも人類の心に伝えたいと思う。

物と情報が氾濫し、人工と虚飾に満ちた物質文明社会の中で、人間は思索を失い、自己を失い、精神の理想を失いがちである。芸術は増々混迷し、浅薄になり、遊戯となってきている。
このような時代に、自然との調和の中で、人生の現実に基づいて、人間の心と体をもってつくられた、モニュメンタルな芸術を復興すること、次代の人類に伝え残すに値する、実のある作品をつくることが、地球上
のいずこの国においても、大切になってきていると私は信ずる。

人間の心が荒れ、不徳義なことばかり起こり、魂の尊厳を失った自堕落な時代に、私の拙作から、真面目と、ねばりと、正直と、芸術家本来の気骨とを、観者が見取られれば幸いに思う。

芸術は国境・人種・宗教・思想の争いは無い。
出生・階級・貧富・賢愚の差別はない。
芸術は元より憎悪と闘争を一切超えたものだ。
芸術の使命は愛だ。

私にとって芸術は、永遠なもの(自然・宇宙・神佛)と人類が出会う謙遜な寺院でありたい。
私は芸術の寺院を建立するために、人々と共同して働いて来たのだと思っている。

私の作品は永遠への捧げものである。
人類への贈りものである。

              

 
 

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