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若き日の理想と信仰。

歴史上の偉大な芸術家達の作品との出会い。

   

               1992 春

私は二十歳の理想と信仰を現在も持ち通している。
真・善・美が私の理想である。
自然・神佛・人類への愛が信仰の情熱の源である。
自己の人格完成の道と、他者への献身の道である。

 

私は青少年時代に人生如何に生くべきか、理想と信仰を求めて真剣に放浪した。そんな時代に歴史上の偉大な芸術家達の作品に出会ったことが、その後の私の人生を決定的なものにした。
私は彼等先人達に全身で全力をもって傾倒した。そのことによって私は、人類が創造して来た芸術文化に畏敬を知る、弟子としての人間になったのである。
相異なる二方向の大芸術家達 —— フイデイアスとミケランジェロ(彫刻) 李白と杜甫(詩) モオツアルトとベエトオヴェン(音楽) セザンヌとゴッホ(絵画)——                                 
私はこの両方を求め、広く大きなスケールの、ダイナミックな生き方を望んだのである。
李白の現世を超越する玲瓏とした永遠の美に想いをはせる情熱、杜甫の生活の大地の現実の中で人間的心情を追求する誠実。この一見正反対と思える志向が互いに交錯し合い、悠々普遍の大きな世界を形成しているのである。
セザンヌの純真、至誠、真我、愛。     
セザンヌを模範として、自然と絵画の中に神を探究して独りで修行する。   
ゴッホの純情、誠実、献身、愛。              
ゴッホに倣って、神の僕として(ゴッホはキリスト教会の牧師を父にもつ)、生活の中で人々に奉仕し献身する。
(しかしそのゴッホは人間関係と職業には失敗を重ね、社会から追放され、孤立した。最後は弟の支援で絵画に励み、芸術の仕事に命を賭けて命を捨てること。その他の事は何も出来なかった人である)
理想は頭の中で考えられたものではなく、芸術の仕事の中で、生活の中で行為となって実行された時に、初めて偉大なもの価値あるものとなるのである。私のその後の人生は、そのために捧げるものとなったのである。

私が歴史上の巨匠達の作品に出会った強烈な感動は、懐古的で空想的なものでは決してなく、唯今創り出されたばかりの様な生々しい新鮮な感覚をもって、実在する生命をもって、時空を超えて、現在の私に痛烈に切実にせまってくるものであった。

それは彼等の生き様、死に様そのものであると思った。孤独と苦悩の中を、妥協せず独りで、最後の日まで、独りで往くところまで往くことが「真理」であることを、彼等の作品と人生が私に示し教えたのである。

 
 
 

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