© 2012 Gohki Endo All rights reserved.

本来の美術館と美術学校。

古来から東洋においても西洋においても、美術館と美術学校は寺院や教会の中にあった。
そこは大自然宇宙の絶対の真実と永遠の生命=佛法・神法を根源とし、歴史上の大宗教家・大芸術家の真人、神人、天才達を模範とする、共同生活の修道の場であった。
大自然宇宙の絶対の真実と永遠の生命の信仰において、文学(教学、哲学、詩等)と音楽と美術は一つのものであった。
信仰告白のために美術(建築、彫刻、絵画、工芸等)の作品がつくられた。
写神・写佛するようにデッサン=基礎の修業が行われた。
精神の偉大さを欠く物質文明に追従する現在の美術社会――美術集団(画壇等)や、美術学校(大学等)――は、本当のデッサンを全く喪失しています。
現在の美術社会は、大自然宇宙の真実と生命を根源とし、歴史上の大宗教家・大芸術家達を模範とする、修道が全く無くなっています。
無思想、無哲学、無理想、無信仰の廃墟のようです。
このような精神的頽廃と混迷の危機的な現在に、大自然宇宙の真実と生命を根源とし、大宗教家・大芸術家達を模範とする、自己教育と、精神伝統、古典の継承と、新たな芸術と宗教一体の文化の創造が肝要です。

                                                                           

日本の中世の大思想家、宗教者にとって、佛法と自然の風景の詩と絵画と音楽は一つでした。

「草も木も枯れたる野辺にただひとり、松のみのこる弥陀の本願。」       
                   法然

「峰の色谿の響もみなながら、我釈迦牟尼の声と姿と。」
                                                                                     
                   道元

 
 
 

Leave A Reply

You must be logged in to post a comment.