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地球。共生。愛。 自然への帰還。



地球。共生。愛。
自然への帰還。
大地に立つ神樹と佛女。
報土の自然芸術寺院の建立。


 

 尊厳な森羅萬象の感動と驚嘆。畏敬の念。
 芸術家は自然への強い愛情と信仰をもち、
自然の研究に 生涯の全ての時間と経済を投入し、献身する。

 

 芸術家は眼、耳、手、足など体の各部分ではなく、眼で聴き、耳で見、筆でなく素手を用い、素足で大地に立ち、自然の風景の現場で、日々刻々の制作に没頭するのである。



 天地を貫く無限の生命力と創造力。



 芸術家に制作意欲を起させるものは、尊厳な永遠な自然に直接に対面した時に自然から受ける感動と驚嘆であり、畏敬と愛の念である。自然天地の無限の生命力と霊力に対応する、芸術家の気稟と資性と独得の創造的情熱である。

 
 
 
 
 
 

 人間として大切なことは、大自然・宇宙の創造の絶対の真理・真実と永遠の生命の信仰を持つこと。そして其の探究と創造の志向と実践の生活を持つことである。


 

  無始無終の大自然・宇宙の中の地球という小さな星に、たとへ人類が存在していなくても、自然・宇宙は存在している。所詮人類は自然・宇宙の中の微小な存在であり、地球の無数の有限な生物の中の一つであるに過ぎない。

 

 地球人類の中の如何に偉大な特別の人であれ、その人間ではなく、大自然・宇宙が根本であり絶対である。大自然・宇宙(以下自然又は宇宙とのみ書く)こそは、それ自身を超越した何者もない全体である。

 

 宇宙を創造したのは宇宙自体である。宇宙を創造した擬人化した人格神など存在しない。

  

  人間として大切なことは、宇宙の創造の絶対の真理・真実(以下真理、真実いずれかのみ書く)と永遠の生命の信仰を持つこと。そして其の探究と創造の志向と実践の生活を持つことである。

 

 その真理と生命を、宗教と哲学と道徳の仕事の、シャカとナーガルージュナは法、孔子と老子は天、ソクラテスとプラトンはイデア、イエスとムハンマドは神といった。

 

 彼等は最高の尊敬と信頼を捧げるに価する、人類の精神界の偉人、聖人である。しかし彼等を徒に神格化する、教条主義と権威主義に陥ってしまってはならない。彼等を人類を超越する観念的な偶像的存在にしてしまってはならない。彼等はあくまでも人間であり、当時の社会の生活の現実の中で、人間としての最高の道徳と理想を語り、世界と人類への慈悲・愛のために全身全霊で仕事をした、真摯な高邁な精神の持主である。

 
 
 
 
 
 

 宇宙の創造の芸術的真実と宗教的真実は一つである。
 師範とすべきは、芸術的・宗教的創造の仕事において、人間の外部の宇宙と、人間の内部(精神・心)の宇宙が一如になり、根本と中心の真実を発見し、人類の精神の革命を起した神人、真人、大天才達である。
 最高の芸術家は最高の宗教家であり、最高の宗教家は最高の芸術家である。


 

 真実は一つ。天地に二つはない。二つあればそのどちらもが真実ではない。であるから人間による一切の対立と論争と争闘を超越した非暴力、非権力の絶対の平和と平等が真実でなければならない。

 宇宙の創造の芸術的真実と宗教的真実は一つである。
 師範とすべきは、芸術的・宗教的創造の仕事において、人間の外部の宇宙と、人間の内部(精神・心)の宇宙が一如になり、根本と中心の真実を発見し、人類の精神の革命を起した神人、真人、大天才達である。
 最高の芸術家は最高の宗教家であり、最高の宗教家は最高の芸術家である。

 宇宙の生命力の大霊に大愛・大慈悲あり。
 地球人類の宗教と芸術の神人、真人、大天才達の精神と霊性の真髄は、自然萬物への真実清浄な愛・慈悲である。
 真実は愛・慈悲である。愛・慈悲は一つである。古今東西南北、人種民族国境、宗教宗派、学派流派を超えている。

 自然を最大の師とし、彼等を模範として、真実と理想のために仕事をすることが大切である。真実の探究者の英智の上に理想があるのである。

 
 
 
 
 
 

 宇宙の創造者(造物主)を神と名付けるならば、神は最大の芸術家である。由えに芸術は宗教の元である。


 神は創造の力である。大活動力である。大生命力である。大霊力である。大愛・大慈悲力(大は絶対・永遠の意)。
 神に知られ通じる芸術家とは、萬物に宿る神の力を見出し表現する人である。

 

 地球の全ての生物の中で、人間だけが永遠の大自然の芸術的表現者である。
 宗教も哲学も科学も、人間による大自然の芸術的発見であり、表現であり、芸術的創造である。

 
 
 
 
 
 

大自然・宇宙の永遠不滅の生命の信仰。
地球の大地の大霊の大願に大愛・大慈悲[生命の力と光とエネルギーの恩恵]あり。
生命こそ神・佛なり。
生命の故郷の神・佛から来て故郷の神・佛へ帰る。
此岸から彼岸へ、彼岸から此岸へ、永遠に続く生命の円環の運動[ハタラキ]。

 

 地球の豊穣な大地と共に生きる歓びと、清らかな河の流れと共に人生を去る楽しさの表現。
 京都の風景=一念三千世界。大樹=神木。河=清流。日本の女=佛女。の制作。

 人類は永遠な大自然の中の微少な短い命の存在であり、地球の無数の生物の中の一つである。その人類が自然を征服せんとして破壊し、多くの生物を絶滅させ、人間同士を殺し合っている。萬物の霊長どころか、全ての動物の中で最も悪い、傲慢な排他闘争的存在である。大自然の萬物・萬有を差別せず平等に価値あるものと見て、尊び畏敬し愛し、争わず平和に共生する存在に、人類が心を入れかえて(回心して)生まれ変わることが大切である。

 大自然は人間がつくったものにあらず。人間は人間がつくったものにあらず。自分は自分のものにあらず。人間の計らいや力を超越した大自然の無限の強烈な生命の力の根源から生まれ、その力の働きに依って支えられ、生かされて在るものである。そうして大自然の永遠の生命の大霊の大慈悲・大愛[生命力の光と熱の恩恵]の源へと、自然に帰って往くものである。此岸から彼岸へ、彼岸から此岸へ、永遠に続く生命の円環の運動[ハタラキ]。

 
 
 
 
 
 

裸形の大樹が大地に立って在る。


一本の大樹が立って在る。
何百年、千年も嵐や日照りに負けずに生き続けてきた裸形の大樹。
自然(じねん)にあるということ、ただそれだけの、何と偉大で尊厳で雄壮で剛健なことか!
大樹は黙って立ってきた。動物。特に人間がよくしゃべる。
あまりしゃべりすぎて沈黙することを忘れがちだ。
自然を深く見ることも、自然の声を黙って聴くこともめったにしない。
人間は大樹の元に、時々やってくる、短い命の動物の一つに過ぎない。
画家は一本の樹木を見つづけ、描くだけでも、一生涯かかる。
それでもまだ描ききれないだろう。

 
 
 
 
 
 

ソロモンの栄華は一輪の野の百合の生命に及ばなかった。

               聖書

 

我れ独り土に立って、樹令千年を超える大樹を描きつづける。
わずか百年二百年の近、現代の科学技術の、地球の生命の環境を破壊しつづける人類の物質文明は、自然の大地に根づいて立つ一本の樹の尊厳な生命に遠く及ばない。
このことを、千年、萬年後の人類の魂に伝達したいと思う。

 
 
  
 
  
 

裸身の人間が大地に立って在る。


一人の人間が立って在る。
太古から現代まで変わらない、裸身の人間が立って在る。
自然(じねん)にあるということ、ただそれだけの何と美しく、尊く、不思議なことか!
画家はこのように自然の実在を一生見つづけ、愛しつづける。
固有名詞のついた人間を描くのではない。
固有名詞に執すること(独占欲、所有欲)が人類の争いの原因なのだ。
描く者も、描かれる者も、自分であって、自分ではない。
自我以前の、純粋な生命の根源[神・佛]から生かされている存在だ。
本来名も無い、言葉も無い、おのずからなる存在だ。
動物の中で人間は珍しく二本の足で立つ。歩く。
あまり速く走れず、高く飛べないので、車や飛行機を発明し、
ついにロケットで宇宙の果てまで行こうとする。
母なる大地に立つという人類の原点と初心から離れていく。

 
 
 
 
 
 

大地に立つ裸形の人間と樹の生命が一体となり神殿・寺院の立柱になる。


原始美術の地母神像から、
古代ギリシャのアルカイックのコーレ・クーロスまで。
地球の大地に人類が立つことの原点。
動物と植物の生命。神女・佛女と神樹・菩提樹。
両者が合体して、永遠の生命を祀る神殿・寺院の立柱になる。
神樹と神女の側で傅き獅子吼する野獣と原始人の生命力。
暴力と権力の闘争の思想から、平等と平和の慈愛の思想への転換。
科学技術の物質の環境の破壊力ではなく、芸術の精神の生命の尊厳の炎の創造力。原子力エネルギーから自然力エネルギーへ。

 
 
 
 
 
 

    生きている佛像・神像の創造。

 神・佛を金銭で買うことは出来ない。
 神・佛への信仰のための無償の行為で作られた神像・佛像と、報酬を得るために商品として作られた神像・佛像とは全く違う。           
 神・佛とは、大自然の無限の、無償の大愛・大慈悲である。       
 大自然は地球上の全ての生物の生命に必要な糧を、無尽に、無償に与え続けている。
 それで大自然を金銭で買う必要は全く無い。
 しかるに現代の人類の物質文明は、永遠なるもの、神・佛のものである大自然を、有限な人間の現世的欲望で破壊し、勝手に所有し、商売に利用して金儲けに狂奔している。
 このような無信仰の、傲慢で打算的で、不徳義な、精神的頽廃の現代に、本来の芸術家が、自然の中に神・佛が宿り、神・佛の中に自然が宿るという強い信仰心を以て、萬物の尊厳と畏敬と愛の心を以て、個体の存在の生命を探究して、現在の生きている神像・佛像の芸術作品を創造することが肝要である。

 
 
 
 
 
  

物質文明から精神、心の文明へ。
人間中心の思想、宗教、芸術から自然中心の思想、宗教、芸術へ。非暴力、非権力、非戦、非核の恒久の平和と平等のための行動を。
萬物、全生物、全世界への無量の慈愛の実践を。


共生の芸術家


 

 私は、地球の自然の環境を破壊し、無数の生物を殺害し続ける、人間中心的、自己中心的、利己的、排他的闘争の思想の、間違いを断じ、自然の萬物、全生物の尊厳と畏敬と愛と、平等と平和の、自然中心の芸術思想、宗教思想を、六十年間の自然の存在と生命に直接に対面し接触した日々の制作の、自然の真理、真実、美の探究によって、持つことの決定に達した。
 地球の自然の環境を破壊し生命を殺害する、傲慢な人間中心思想の物質文明から、地球の自然の萬物、全生物の尊厳と畏敬と慈愛の、自然中心の精神・心の文明への転換の行動。
 人間本位に自然と共生するのではなく、自然に生かされて生きている感謝の謙虚な心。


草木山川大地悉皆佛性。森羅萬象悉有神性。一切衆生全人類平等覚智。

 
 
 
 
 
 

  自然芸術寺院の建立。


 

人間の短い一生涯の日々刻々を、
黙々と、コツコツと、ひたすらに、
自然を研究する。
研究の基本はデッサン。
東西の諸聖典は座右の書。
自然・神・真理・愛は一つ。
この信仰と信念の元に、争わず、
諸宗教を尊び研究する。
自然がなければいかなる神もない。
自然自体が神であり、神自体が自然である。
自然と神がなければ、いかなる宗教もない、
芸術も科学もない。
神は永遠の真理・生命・愛。
純粋な霊性の美を求めて、
これからの時代は、宗教宗派を超えて、
地球各地の自然の風土から生まれ、
自然を造形した、佛閣、神社、教会、
モスクを建て始める時。
そこに入れる絵画と彫刻を作る時。
後世に長く遺す価値があるものを、
完成は未来の人類がするだろう。

 
 
 
 
 
   

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