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形と色彩の綜合の研究。


      形と色彩の綜合の研究。


  東洋絵画と西洋絵画。
  原始、古代美術と近代美術。両方の研究。


  生と死。生きることと生かされていること。

                     2003年2月

 

 西洋絵画を研究してきた私は、油彩画の特質である重厚で硬質な物質感と、鋭敏で透明な色彩感覚を、自分のものとすべく制作した。色彩の本質を見つめ、色彩を実在として捉え、その上で光学理論を採り入れ、対比と調和の研究をすすめ、日本の永遠な自然を多彩で豊かな色彩で表現することは、私の生涯の制作の目的となっている。しかし一方で、より深く自己と、自国の自然と、精神伝統の根本を知るために精進した結果、近代西洋絵画の色と形(デッサン)を同時にすすめるという折衷的な造形方法では、尊厳な自然の存在の真理探究が不充分なことがわかり、それを乗り越えて、より厳しく実在の客観的形態と根本的構造を追究した。その基本となるものが線によるシンプルな黒と白のデッサンである。黒と白は最深・最高の色である。デッサンは下絵ではなく、それ自体で独立した作品と考える。
 対象をデッサンすることは、絵画のみならず、建築、彫刻、工芸など、全ての造形の根本である。
 レオナルドとミケランジェロはそれぞれ「デッセーニョ(デッサン)は全ての芸術の基本であり源流である」ということを述べている。私は「デッサンは絵画の基本であると同時に人間の基本、絵画の骨組であると同時に人間の気骨、単なる技術や観察ではない真摯な精神態度である」と考えている。
 このように、色彩と形態(デッサン)のそれぞれの特質を追究すること、更に相関関係にある両者を論理的に綜合することは、私の制作の一生涯の課題である。
 私にとって、自然は生々しく強烈な存在であり、自然の生命感、物質感、形態と色彩の感覚の強度は、自然の観照や、自然との対決の度合いに応じてどこまでも増大するものである。これが人間の本来の芸術感覚である。自然は元より仕上げたり、完成されるべきものではない。芸術の価値は安易な仕上げや完成ではなく、探究と実現である。
 大自然は剛と柔、峻厳と優美、動と静、生と死、そして生きることと生かされていることなど、相対するものの両方を兼ね具えている。自然とともに在り、綜合と調和に至るような、忍耐強く長い歩みを続けたいと思っている。そうしてこのことにおいてのみ完成に達したいと思っている。

 明治以後今日までの日本の美術は、主に欧米の模倣と追従の域を出なかった。真の自己の発見と絵画の探究が無く、自我の挫折の歴史であった。私は歴史上の巨匠・天才達に傾倒し彼等を崇敬してきたが、しかしいかなる巨匠、天才であれ、彼等に盲従せず、彼等の眼ではなく、自分の眼で自然を見、彼等の方法を模倣して保身せず、対象に直面した自分の感動による直截の方法で、実在の生命と真実を追究した。
 日本美術が平面的で弱いのは、形態の厳しい見方がないからである。量、立体をともなう実在表現がないからである。大地に足がしっかり立つという人類の原点が弱いからである。
 色彩感覚が貧弱なのは、色彩の科学的法則性のある、新鮮かつ本質的な感覚の実現がないからである。自然の無数の色彩(特にこの場合は色相)を眼で客観的に正確に識別し、対比や階調に基づいて画面に写し取るという最初の正しい練習ができていない。調子(明暗)で見てしまい色彩感覚で見ることができない。
 私は東洋画の源流の悠遠な中国宋元の山水画の王維、董源、巨然、荊浩、李成、笵寛、郭煕、許道寧、王蒙等の線と、我が国の雪舟、雪村、友松、永徳、等伯、光琳らの厳然とした線と、西洋の古代ギリシャ以来、ルネッサンスを経て近代に至る、写実精神、人体研究、実在の物質表現、立体表現の伝統を学んで、世界精神の普遍的で独自な現代の芸術を創造するという、目的をもって制作に励んでいる。

 

 大地、山、川、樹木、草花、人体…私が描く対象は、自然存在の最も素朴な原始的なものである。諸々の存在を等価値なものと見て、実在の中に宇宙、生命、神佛を探究する。自然の実在の追究は、魂の根底において宗教的実存と結びついている。
 私の近年の関心は、近代芸術とともに、原始、古代の芸術に向かっている。芸術は原始、古代に遡るほど若々しく初々しく生命に満ちている。自然・実在がなければ太古からの人間の健全な芸術行為は存在しないのであるが、現在はこの自然との直接性という根本と源泉を喪失してしまった、頽廃と堕落と不毛の時代である。
 現代美術が自然と人間存在の現実に真摯に対峙することを忘失し、技術や様式の遊戯に陥っている今日、再び自然と人間との真実な運命的な出会いを根本にもって、自己を超え、宇宙の生命に合体するような芸術創造のための無私で善く高貴な共同が実践されんことを念じて止まない。
                            2003年

 
 
 
 
 
 

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