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ゴーキ美術研究所 絵画教室

 
 
 
 

目次

第一部  理想

第二部  実技

 
 
 
 
 
 
 
 
 


     理 想

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


日本の京都から世界へ。

古代から近代まで、千年萬年の長い歳月の間に起きた、幾多の戦乱や災害にもめげずに、芸術家や思想家や宗教家は固より、心有る無数の町衆が、命を懸けて護り通し、復興して来た、歴史的伝統的古典的風土の京都。

現代の科学技術による物質文明に、破壊され続けながらも、未だ処々残っている、閑静で純粋で優美な心の故郷の京都に、

人間生涯における、絵画芸術の道の理想を掲げ、
京都町衆世界絵画塾を開学する。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


絵画塾の五つのモットー。

一  一期一会。

二  初心忘るべからず。

三  真実の自己を見つめる。

四  基本に始まり基本に終れ。

五  個性を生かせ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


絵画芸術の、一筋の道の、生涯の学習。

絵画芸術の学習は、自己の心の修行と、自己の
芸術感覚の表現の、長い道行きである。
長距離歩行者であり、一生涯の努力・忍耐・時間が必要である。
怠けず、焦らず、一歩一歩、一日一日、一年一年である。
上手下手は問題ではない、どちらでもよい。
一事を成しとげるには、
運(天運)・鈍(愚直)・根(粘り)が大切である。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


萬物、全生物、全世界への無量の
慈・悲・愛の実践。
非暴力、非権力、非戦、非核の
恒久の平和と平等のための行動。



永久平和と平等の実践。

 私は世間と争わない。世間が私と争うのだ。
 真理を宣べ伝える者は世のいかなる人とも争わない。


不殺生、非暴力、非戦の実践。


 

 生命あるものを自ら殺してはならない。
 他人をして殺させてはならない。
 他人が殺すのを容認してはならない。

     釈迦牟尼佛陀の言葉。

 
 

宗教と芸術の歴史上の偉人、聖人、天才達の精神的特質は、 
自然の萬有への慈・悲・愛である。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


生命(いのち)への慈と悲(やさしさとかなしさ)の心。
自然の全ての存在と生命を平等に尊び敬う心が大切である。

 

現代は科学技術を万能と過信しがちな物質文明の時代である。しかし今後いかに科学技術が進歩しようとも、人間が自然(宇宙)を創ったのではないのだから、人間が自然を完全に支配することなど永久に出来ない。所詮人間は自然から生じた生物の中の一つであり、自然の中の微少な存在である。然るに父母なる自然に背き、自然を破壊する人類の愚行はとどまることを知らない。人間がつくった科学技術の悪使用によって地球の全ての生命が滅亡の危機に直面している今日、自然の命を慈しみ愛する心こそ何よりも大切なものである。

 

共生は人間中心ではなく、自然中心に人間が生かされているという謙遜な心、感謝の心が根本に大切である。

 

東洋の、日本の思想は、仏教も神道も、自然の諸存在と生命を人間より価値の低いものと見ずに、樹も草花も動物も鳥も虫も魚も、川、土、鉱物等の無生物も、全ての存在と生命を平等に尊び敬い、自然と共生する思想である。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


草木山川大地悉皆佛性、
森羅萬象悉有神性、
一切衆生全人類平等智、
という東洋古来の思想は、
現代の世界において最も
重要なものとなっている。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


共生の芸術家。


生命(いのち)の根源と、
心霊(こころ たましい)の
故郷を求めて。


自然を信じ、尊び、愛し、
自然に従い、学び続け、
自然と共に生きる創造活動。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


自然を最大の師とし、
精神伝統を最高の模範とする。


自然には従順に、
精神伝統には敬虔に。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


自然へ帰る。自然を描く。


自然へ帰る。

自然と共生。共生は人間中心主義の我欲我執の生ではなく、自然中心に人間が自然に生かされて生きているという謙虚な感謝の心。自然と共に在り、自然に成り切る心。

 


自然を描く。



地球の大地、山河、海、樹、草花、人間、獣、鳥、虫、魚…
都市と村落、建造物、道具…を描く。



風景。


京都を描く。京都の四季を描く。

京都の周辺の山川を描く。
桂川と鴨川の上流。由良川。琵琶湖。瀬田川、宇治川。木津川。
愛宕山、北山、西山、東山、比叡山、醍醐や宇治の山…。

    

人物。


今現在生きている人々を描く。子供から老人までを描く。
肖像、着衣、裸体を描く。
古代ギリシャ以来の西洋美術の根本は人体。

          

静物。


人間がつくった物=陶器、ガラス、金属や布類や造花等と、自然の果物や花等との調和。

風景。人物。静物を、それぞれ同じ枚数制作する。


動物。


動物園と水族館へ描きに行く。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


自然の永遠の生命の源へ帰る。

自然は人間がつくったものにあらず。人間は人間がつくったものにあらず。
自分であって自分のものでない。大自然の永遠の生命の源から生まれ、それ在るゆえに支えられ、生かされて在るものである。そうして永遠の生命の大慈悲大愛(光・火・エネルギーの恩恵)の源へと、自然に還って往くものである。死は死ではない、自然なるものである。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


沈黙。 一


言葉がないからこそ、見えて来る
ものがある。
音がないからこそ、聞こえてくる
ものがある。
このような、存在や世界がある。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


沈黙。 二


存在が先、言葉は後。
自然が先、自分は後。
自然に服従、自分に誠実。
法・神(佛法・神法)が先、自分は後。
法・神に服従、自分に誠実。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


温故(ふるきをたずね)
知新(あたらしきをしる)。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


精神伝統・古典へ帰る。            心の故郷へ帰る。

健全な時代と人生とは。
過去=現在=未来が関聯していて、永遠なるものへの、なつかしさと、奥ゆかしさと、愛情のある、豊かで幸な時代であり人生である。
それは信仰、信教、思想、体系に基づく、創造性、構築性のある文化であり生活である。これを古典的と言う。
現代人の不幸は、心の古典の地、故郷を失ったことにある。
各人の幼少年時代は過去である。
人類の精神伝統、文化遺産は過去である。
想像力(イマジネーション)とは、過去を現在に蘇らせる人間の精神の眼、心眼の力である。
決して懐古趣味ではない。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


恩恵への感謝の心と恩返しが
人間の道の基本である。 一

自然の生命の根源と精神伝統の心の故郷へ
帰ることが、人間の最善の道であり、永遠
の幸福である。そこに安心と救済がある。
恩恵への感謝の心と恩返しが大切である。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


恩恵への感謝と恩返しが
人間の道の基本である。 二


七つの恩恵。


一  自然。
二  自然の真理・真実・法則。 神・法・天・イデア。
三  其の発見者。 神人・真人・天才。
四  其の先導者。 道人。
五  其の協力者。一  友人・同志。
六  其の協力者。二  親・祖先。
七  其の享受者。 衆生・同胞。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


自分を見失わず、ゆとりをもって、
自分を取り戻す。
自然の実在に即して自分を発見する。
自然の法則や調和や美や生命の力を見出す。
真・善・美の理想を確立する。

 
 

あわただしい日々の生活の現実の中で、
心が荒れて、刹那の激情に走ることなく、
自己を見失わず、ゆとりをもって、自己を取り戻す。

自然の実在に即して自己を発見する。
そうして自己の形成と確立と完成に努め励む。
自然の法則や調和や美や生命の力を見出す。

自然から真理の啓示を受け、
真理への信仰を以って思索する。

そうして真・善・美の理想を確立する。
知・情・意一体の、健全で創造的な人生と芸術の道を歩む。

芸術は自然と共に在って進展する大いなる調和の世界である。
このことを、人生と芸術の中に実践する。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


日々新たに、生き生きと。


自然(人、鳥、花、樹…)の生命を
心で感じ取る。感動する。
感覚や感動は絵を描く源。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


愛と創造の本能(本性、天性)。
美に生きる生活。
美は愛が物に与える形である。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


     実 技

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


近代西洋絵画[油彩画]と日本の京都。


印象派、後期印象派の画家達に倣って、 
屋外へ出て、太陽の光に輝く自然の風景に、
直接に対面して制作する。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


ピサロ、シスレー、モネ、セザンヌ、
ルノワール、ドガ、モンチセリ、ゴッホ、
ゴーガン等の優れた色彩画家達の作品
から、色彩感覚の表現とその方法と理論
を正しく学び取り、油彩画の各素材の
特性を十分に研究し、それを以て、京都
の純粋で優美で透明で冴えた風景の色彩
を、最高度に表現する。


ドラクロア、ルドン、セザンヌ、モネ、
ゴッホ等は東洋、日本に関心を持ち
憧憬し、其の美術と思想(哲学、宗教)
を研究した。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


近世〜近代絵画の歴史を学習する。
印象派が生まれて来たのは、
下記の画家達の仕事があったからであり、
印象派は、彼等先人達を受け継いだ人達
であることを知る。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 近世から近代の巨匠達の資質を二種類
 に大別すると。

一 ジョルジョーネ、チチアーノ、ヴェロネーゼ、
  エル・グレコ、ベラスケス、リューベンス、
  ドラクロア…等の多彩の色彩画家。

一 ファン・アイク、ダ・ヴィンチ、デューラー、
  ホルバイン、カラヴアッジョ、レンブラント、
  シャルダン、コロー、クールベ…等の色彩を
  制限した色調画家。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


十九世紀近代絵画。

ドラクロア。

浪漫派の雄渾な情熱(パッション)の画家。
「自然を辞書として学べ」と言う。
色彩研究に勝れた業績を残す。
印象派に先がけて、色相環や色彩対比の
光学理論に基づく写生を実践する。
視覚像(イマージュ)と色彩の実感表現
が強力で非凡である。

コロー。

「自然が私の方へやって来るまで静かに待つ」と言う。
一生涯自然を強い愛情をもって見つづけ、
研究し、深め、純化していった、謙遜な清純な
精神態度の画家。
素直に、作意を衒わず、調和の光に包まれた、
そのままで限り無く美しい自然を描き続ける。
調子(トーン)が清澄で温和で実に美しい作品
を制作する。

クールベ。

「自分は羽の生えた天使など見たことがないから、
そのようなものは描かない」と言って、
写実主義(リアリズム)を標榜し、現実の生活上の
人物や風景を、写実に徹して描き進める。
視覚像(イマージュ)の実現がある、強靭な堂々と
した作品を制作する。

ミレー。 テオドル・ルソー。

バルビゾン派と言われる画家達。
大地の土の臭いが感じられる。
一木一草に強い愛情をもって描いている。
空の清澄な色彩には、永遠なものへの敬虔な祈りの
心が込められている。
彼等こそは絶対に自然を信じ、愛し、尊び、虚偽を
作らず、自然に服従し、自然へ帰った人達である。

コンスタブル。

自然の風景を手堅い写生力をもって深く追究し、
リアリティーがある独得な強烈な表現に達している。

ターナー。

自然の光を多彩な色彩で表現し、
独得の絵画表現の世界を開いている。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


  印象派・後期印象派を継いだ、
  二十世紀の画家達。

マチス

色相対比(コントラスト)と調和(ハーモニィ)の
勝れた色彩画家。
生命賛歌の明るく優美な色彩の作品を制作する。

ルオー。

暗く深い世界を、レンブラントの明暗の世界から出て、
原色の強い対比(コントラスト)と調和(ハーモニィ)
で表現している。

ピカソ。

デッサンの名手。
古典回帰の肖像画の白の調子(トーン)が美しい。
原色の対比(コントラスト)の表現にも勝れている。

アンリー・ルソー。

美術学校でデッサンをした人ではないが、学校風の
技術以上に大切な純朴な絵心が感じられる。
パリ郊外の風景の空の色が透明で繊細で美しい。
ルーヴルの巨匠達から学んだものと思われる。

モジリアーニ。

セザンヌから色彩の階調(モドラシオン)
を学び取っている。
裸婦像の古典的な形(フォルム)を追究している。
愛情に切実な真実味がある。

スーチン。

背景は暗い。
人間と自然から受ける感動の、直截の強烈な情熱
(パッション)の表現力に勝れている。
明暗ではなく、色彩の対比(コントラスト)に
よってである。

ユトリロ。

パリの街の家屋の壁の、グレーと白の調和
(ハーモニィ)に勝れている。
パリへの切ない哀愁が作品に滲み出ている。
繊細な筆使いで、色相対比で色彩表現している。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 絵画芸術の本道の復活。
 機械のヴァーチャルな死んだ眼ではなく、
 人間のリアリティーがある生きた眼で、
 自然の実在の生命を見る。

 自然の実在の生命が無ければ太古からの人間の健全な芸術の創造行為は存在しないのであるが、現代は自然の実在の生命を人間の生きた眼で視て、手で触れて、全身全霊で探究して、表現するという事の根本と源泉を喪失してしまっている。
 故に現代は原始、古代から近代の二十世紀初頭までに人類が創造してきた美術―絵画・彫刻―の本道から外れた時代である。
 自然、実在、生命を凝視する眼が美術の根本である。近代美術の巨匠のセザンヌ、ルノワール、モネ、ゴッホ等、彼等を継いだマチス、ルオー、ピカソ、モジリアニ等の絵画の革命的な新形式や技巧を生んだことの根本にあるものは、彼等の眼であり、手である。

 彼等巨匠達は皆、観念的に頭で考えられた物を描くことをせず、先ず、現実に実在する物を眼で視て、手で触れて、対象から受ける直接の感動を元に、人間の感覚や知覚を生かして制作した。
 この事は近代彫刻の巨匠のロダン、ブールデル、マイヨール、ジャコメッティ等においても全く同じである。
 現代の科学技術による物質偏重文明がもたらした機械化、大量生産化、ヴァーチャル化の便利安楽な生活に、現代人は気がつかぬままに慣れ、翻弄され、毒されている。
 機械の写真、テレビ、ケイタイ…によるヴァーチャル(架想)映像と、生物の人間の五感の現実映像とは全く違う事を自覚し、各個人が人類の芸術的創造の原点に立ち返ることが大切である。

 機械は生命の無い死んだ人工物であり、人間は肉体と精神(霊魂)の両方を具有した生命体である。
 人間の生命の根源は自然であり、地球の大地である。
 自然の実在の生命に直面した感動や感覚を表現することが、人間の本来の芸術である。
 機械ではなく、人間の生きた眼で見て、手で触れて、五感(六感)で、全身全霊で制作するという、生命のある健全な芸術を復活させよう。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


世界絵画の創造。
古今の西洋絵画と東洋絵画を研究し、
両方の綜合を目指す。


技法の研究と開発。


 七つの技法。

一 油絵。薄描き。透明技法。
二 油絵。中厚描き。厚描き。重層技法。
三 水彩画。透明技法。不透明技法。
四 水彩絵の具等、水性のもので描いた上に、油彩したもの。
  混合技法。
五 鉛筆、墨、インク、油絵の具等多様な素材を用いて
  「線」で描く「黒と白」の絵の技法。
  (黒と白の絵=広義のデッサンは、単なる下絵やスケッチ
  でなく、それ自体独立した表現方法と形式の作品である。)
六 五の絵の線と黒白を生かし、その上に油絵の具、水彩絵の具
  等で彩色した絵の技法。
七 クレオン、クレパス、パステル、色鉛筆等で描く彩色画の
  技法。

以上の七種類の絵は、根本において同じく、自然の探究であり、相関している。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 色彩感覚。

自然を色彩で感覚して表現する。
感覚のための色彩理論を用いる。
「機械の眼」と「人間の眼」は全く違う。
最新のデジタルカメラにも人間の色彩感覚は全く現れない。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 形態感覚。

写真カメラには人間の形態感覚、造形感覚は全くない。
対象を模倣(コピー)したり、説明するのではなく、
対象の根本的、造形的、美的、表現的な形(フォルム)
を探究する。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 形(フォルム)。

対象の立体と空間を追求して実在の生命を把握する。
厳然とした形の構築力のある絵画を創造する。
点、線、面、量の造形要素で形を追究する。
日本の美術は平面的で立体(奥行と深さ)がなく形の厳し
い見方がないのが弱点である。
平面的(表面的)な作品は平面的な生活や思想や世界観し
か表せない。
造形性と精神性において深さと広さと高さのある作品創造
を目標とする。
作品創造には眼と頭脳、感覚と知覚の両方が必要である。
物質と生命の客観的外部の真理の探究の科学精神と、自己
の主観的内部の真実の探究の哲学、宗教精神の両方が肝要
である。
人間の内と外。主観がなければ客観にならないことを知る。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 調子。色価。階調。

白い色の物体の静物(石膏像や花や器物や布等)と、多彩
の色の物体の静物(花や果物や布等)や、四季の風景を、
其れ其れ制作し、調子(トーン)、色価(ヴァルール)、階調(モドラシオン・グラダシオン)を研究する。
低く鈍く沈んだ明暗の調子ではなく、高く鋭く輝く調子、色価。
物の面に即した調子、色価を研究する。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 明度・色相・彩度・質感。

明度と色相と彩度と質感の、四つの全部が調和的に具わって存在する作品が、正しい調子(トーン)、正しい色価(ヴァルール)、正しい階調がある絵画である。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 階調(モドラシオン・グラダシオン)。

単なる明暗の階調ではない。
三原色、二次色、十二色相環の理論に基づく、豊富な色彩の対比と調和がある階調である。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 視覚像(イマージュ)。

物の視覚像の追究。
レオナルド・ダ・ヴィンチからレンブラント、クールベを経
てセザンヌに至る西洋絵画の写実の本道である。

ダ・ヴィンチ、デューラー、ミケランジェロ、ジョルジョーネ、
ラファエロ、チチアーノ、チントレット、ヴェロネーゼ、エル・グレコ、ベラスケス、リューベンス、レンブラント、ドラクロ
ア、クールベ、セザンヌ、ルノワール…、
彼等は皆其れ其れ、個性的情熱と性格をもって、視覚像(イマー
ジュ)の感覚(サンサシオン)を実現(レアリザシオン)した
巨匠達である。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 線。

 

線は原始時代の壁画から、象形文字、エジプト沈刻、中国 宋元画、雪舟、デューラー、近現代のゴッホ、ピカソ、ビュフェらに至る、絵画の根本である。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 色。 一

一 多色な絵。
  三原色、二次色、十二色相環の理論に基づく、対比と調和の
  多色な絵。 
二 色を制限した絵。
  白、黒の色調(トーン)と色価(ヴァルール)を主にして
  多色を制限した絵。

   

一と二のいずれも、色彩は縁起、相依相関の自然観を以て学習する。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 色。 二

光学理論に基づく光の色と、物の固有の色の、両方の調和によって、勝れた彩色絵画を描くことが出来る。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 彩描。 一

自然を単なる明暗の調子で見ずに、自然の全てを色彩で見る。色彩が充実するに従って、形は正確になってくる。  
                       セザンヌ

同じく形が正確になるに従って、色彩は充実してくる。形を色彩に置き換えるのである。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 彩描。 二

最初に自然の対象物の影の部分の明度と色相と彩度をよく観察して一定の方法で処理し、そこから逐次光の部分へと眼を移してゆき、対象の立体と空間の全体を描き進める。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 形と色。

形の弱さを色で誤魔化してはならない。絵の具の色を用いても
物の形を追究することが絵画の基本である。
形と色彩を二分せず一つと見て制作する。
形が色、色が形。

線の横に色をつけず線の上に色をつけよ。   アングル

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 形、デッサン。

 広義で言うとデッサンは絵画、建築、彫刻、工芸、デザイン等全ての造形芸術の基礎である。更に入間の全ての行為や仕事の計画の根本であるといえる。
 「芸術家の仕事はデッサンに始まり、デッサンに終わる」と言われているようにデッサンは一生涯の支柱である。
 造形制作からいえばデッサンは形の研究である。形(の皮相な模写)ではなく、形の美的表現的な「見方」である。いくら部分を集積してみても全体をとらえることはできない。全体を見て全体から描き出し、部分に至り細部を仕上げるようにする。全体をとらえるには集中力を養うことが必要である。よく初心者は対象物の皮相の模写から始めるものである。それでも画面と対象物との関係を全体から割り出して構図を決め位置を定めなければ、それ以上先へ制作を進めることはできない。
 模写から構築へと向かう。空間の中における対象の立体の主要な面の方向性を強烈に決断しなければならない。浅い広がりではなく、奥行と深さをとらえる「眼」の練習が肝要である。全体から分析して対象の物体を構成する主要な面をとらえ、それを組み立てて総合する。面を表現するものは色面であり、色価(ヴァルール)のある調子(トーン)である。調子は光があって成り立つ。調子は黒から白に至る明度の階段をもっている。単なる明暗、陰陽ではない。無彩色と言われる白と黒の素材を用いても対象から「色彩」を感覚することが大切である。

 低く鈍い沈んだ明暗の調子ではなく明度、色相、彩度、質感の全てを含んだ高く鋭く輝く色価(ヴァルール)と調子(トーン)で対象物を表現することが大切である。
 以上のようなデッサンにおける、点・線・面・量の造形要素を用いた物の見方と表現方法と技法を学習する。
 美術史的には東洋美術の高い精神性(たとえば中国宋元期や日本室町期の絵画の線)と、西洋美術の物質表現、立体表現の科学性論理性の両方を研究し、総合する。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 色 彩。

 人間にとって色彩は世界の存在の感覚的情緒的要素といえる。人間の体にたとえるならば、デッサンは骨格であり、色彩は表皮や筋肉であり生命であるといえよう。しかし色彩が皮相に流れ、軽薄な感覚的遊戯に落ち込んではならない。色彩は宇宙の根源の生命を表現するものでなければならない。日本の現在の数多の色彩作品並びに色彩教育は、自然の生命の根源から離れ、その感動や感覚と法則や理論との関係の科学的方法を欠いている。
 自然の存在の色彩は主に明度、色相、彩度、質感から成り立っている。
 色彩は「対比」の関係を学ぶことが大切である。対比には明度対比、補色対比、寒暖対比等がある。豊富な「色相」に基づく個々の色の正確な識別と、「対比」による調整と調和が、特に日本人の美術作品と美術教育に欠けているものであり、この能力を養成し高めることが、当塾の学習の主要な目標の一つとするところである。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 形、色彩、調和。

 形と色彩は個別に研究されるものではなく、同時的に相関においてなされるものである。
 形態の充実度と色彩の充実度は常に一致するものであることを目標とする。宇宙的調和的一致、「形」、「色彩」、「調和」の完成が、太古から現代に至る人間の造形芸術活動の真の目的と言えよう。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 素 材。

 油彩画、水彩画、日本画、デザイン等の素材は、今日画材店へ行けば豊富にあり、どんな素材も買いそろえることができる。しかし、素材の物質の物理的、化学的な知識がなく、主観と感情だけでわがままに制作しても、客観的真実と美はほとんど表現することは出来ない。素材の物質に関する基礎的初歩的な物理的、化学的知識を得ることが是非とも必要である。それによって、知識がなかったときよりはるかに美の表現力は高まる。
 一例をあげれば、油絵の具の「黄」のカドミウム・イエローとオーレオリンとでは隠蔽力、被覆力、着色力が随分異なる。「赤」のローズ・マダーと力ドミウム・レッド、「青」のウルトラマリンとセルリアンーブルー、「緑」のビリジャンとコバルトグリーンも同様である。溶き油にしても、ペトロール、テレピン、リンシード、ポピー、パンドルは、それぞれ原料とその特性が異なる。
 このように、もろもろの素材についての知識と用い方を正しく学ぶ。
 キャンパス、板、紙、油絵具、溶き油、パレット、筆、ナイフ等の、それぞれの正しい知識を先ず最初に学び身につけることが是非とも必要である。水彩画、日本画、アクリル画等においても同様なのは言うまでもない。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 「正しい形」「正しい色彩」「正しい素材」を学ぶことによって、全ての人が優れた美しい
作品をつくることを念じている。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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